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8 ストーリーに沿った取り調べ(3)

 実際に、多くの犯罪者は、自分がやった行為について確たる証拠が突き付けられるまで、あるいは、警察官や検察官による取り調べが本格的に行われるまでは、事件を否認したりする。さらには、事件を否認したまま裁判となり、有罪判決が下りても事件を否認したままの犯罪者もいる(無実の罪ではなくて、本当にやっていた場合の話として聞いてもらいたい)。

 だから、「私はやっていません。」と言われて、「はいそうですか。」といった供述調書を作るわけにはいかない。もちろん、ストーリに沿った取り調べといっても、全く事実無根の物語をでっちあげるわけではなく、関係者からの供述や各種の証拠を十分に参考にしながら、被疑者は否認しているもののおそらくはこうであろう、と警察官あるいは検察官が十分に確信できるだけのストーリーを組み立ててから、それにそった供述が得られるように質問を重ねるわけである。最近は、そういう刑事ドラマでもあまりないかもしれないが、「(容疑者が)とうとう吐きました。」といった言葉の背景にはそういった事情がある。

 容疑者が否認を続ける場合に、神ならぬ我々には、本当にその容疑者が真犯人であるかどうかは、わからない(それは容疑者が自分の罪を認めたところで同じことではあるが)。少し脱線するかもしれないが、否認を続けている例としてこういった事例がある。ある子供たちを預かる施設の職員で、中年男性が小学生の女児を自分の執務室に呼びだして、服を脱がせることを強制し、裸の写真を撮影した、という容疑で疑われていた。こうした事案の内容は、許せないことであるが、本人はこの件について、以下のように述べていた。

「その小学生の女の子を執務室に呼んで、何か説明をしていたら、その女の子が自分で勝手に服を脱ぎだし、ポーズをとって、自分をカメラで撮ってくれと頼んできたので、自分はとりました。」

 こうした本人の話自体は、到底信じられるものではだろう。こうなると、取り調べの方針として、本人は否定しているが、女の子を自分の執務室に誘い出し、言葉で脅すなどして強制的に服を脱がして写真を撮った、というストーリーを作って、聞いていくしかあるまい。本人が否認を続けた場合には、裁判での決着を待つことになる。

 犯罪者は事件を否認することが少なくないので、証拠、証言等の情報からストーリーを作って供述を作ること自体は仕方がないのかもしれない。もちろん、最初からでっちあげで、無実の罪に陥れてやろうなどという、警察官や検察官はほとんどいないであろうから、作るストーリだって、それほど真実とかけ離れたものを用意するわけではない。一生懸命、犯罪者を逮捕し、悪い犯罪者を有罪にするために捜査機関は日々頑張っているわけだから。

 先にも述べたように、問題となるのは、そのストーリが真実と異なったものになる場合である。この場合には、冤罪が生じる可能性がたいへん高くなる。先にあげた例で、もし本当にその女の子が何らの強制も加えていないのに、自分から服を脱ぎ、自発的にポーズをとって、裸の私を撮影してくれと懇願してきた、そんなことが起こるとは到底思われないが、仮定の話として、そういったことが起こっていた場合には、警察や検察によって構成されたストーリに沿って真実をゆがめられた不適切な取り調べが行われる可能性が高くなるであろう。

 

 

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