1 はじめに

 本稿では、臨床的な視点から犯罪行動を眺めていくこととしたい。臨床的とは主に臨床心理学的なとらえ方をしていく、という意味である。

 もう少し具体的に臨床心理学的なアプローチを説明すると、ある犯罪者に面接をしたり、個別に心理検査を行ったりすることを通して、その特定の犯罪を犯した個人が、一体何を考え、どういった理由で犯罪に及んでいたか、その犯罪者は一体どういった性格特徴を持っているか、どういった成育歴をたどっているか、どういった環境に身を置き、どういった考え方をして人生を生きてきたのか、その事と当該犯罪行動がどのように結びついているのか、などについて明らかにしようとする、ということである。

 これは言い方を変えると、ある個人の一回限りの出来事について心理学的な観点から説明しようとすることである。したがって、多数のサンプルからデータを集めて、人間一般に見られる傾向や性質を調べる、といった実験心理学、認知心理学、社会心理学等で通常見られるやり方とは異なることになる。個別に面接をして犯罪者の話を聞いて、事件の動機や意味について分析していくやり方は、誤解を恐れずに言えば非科学的な印象を受ける。

 もちろん、犯罪行動を分析するアプローチとしては、量的データを収集し、そこから得られた知見をもとに個人の行動を説明、解釈していくというやり方がある。近年は、エビデンンスベイストといった言葉を耳にした方もいると思うが、そうした方が実証的なやり方として望ましい。筆者自身は、犯罪を取り扱う上で、国の施策、刑事政策上の方針を決める時には、量的データから得られた実証的な知見に基づく必要があると考えている。

 ただ、犯罪者の口から聞かれる自身や犯罪についての語りには、量的なデータからはなかなかうかがえないような、犯罪についての何かが存在しているようにも思える(錯覚かもしれないが)。こうした考えから、本稿では、犯罪についてより個別的な、犯罪者自身の視点や考えに焦点を当てた、いわばミクロな議論をしていきたい。

 幸い筆者はしばらくの間、少年鑑別所と刑務所で犯罪者と面接をしてきた経歴がある。本稿の話は実証科学的な厳密さと言われると辛いところではあるが、犯罪者についていろいろと考えを巡らせるための資料として気楽に読んでいただきたい。アメリカについて研究をしようとする時に、アメリカ人と話をしてアメリカについて聞いてみるのと同じで、犯罪について研究するときに、犯罪者に犯罪の話を聞いてみる、そういった経験を背景にしての本稿に、しばらくお付き合い願いたい。

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2 非行臨床における動機理解~犯罪をした理由は・・

 何か大きな事件が起こって、マスコミが報道するときに、

 「動機はなんだったのか」

 ということが、しばしば取り沙汰される。その加害者は、なぜ殺人をしたのか、なぜ放火をしたのか、なぜ万引きをしたのか、なぜ強姦をしたのか。

 犯罪についての、おそらく一番素朴で、かつ重要に思われるこの問いに応えることは、実際には大変難しい。普通の意味での、完全な答えというものはおそらくないと言ってよい。

理論的な話をする前に、この犯罪に対する素朴で、しかし根源的な問いについて、素朴に考えてみよう。

 刑事司法システムあるいはマスコミにおける動機解明について以下に考えてみる。実際に、ある事件が起こり、犯人が逮捕され、その動機が解明されたことを見たことがあるだろうか。被疑者が警察で取り調べを受け、被疑者の発言が新聞報道に載ってくるのはしばしば目にする。動機の解明が待たれる、といった文言を目にしたりする。

 それで、結局、「解明された動機」というものを見た人はいるだろうか。

 動機を解明することは、先にも述べたように大変難しい。精神鑑定を伴わないような普通の事件では、動機の解明は大して行われない。こういったことを述べると、本当なのかと驚かれる方もいるかもしれないし、反対意見も出てくるかもしれない。

 それでは、事件処理の過程で誰が一体動機を解明するのだろう、という問いを考える。

 

 取り調べにあたった警察官が動機の解明をしているのか、と言えば、答えはほぼNoといってよい。警察の取り調べは、被疑者や被害者、関係者の供述を集め、証拠を提示し、それらをまとめて、一体、犯行現場では何が行われたのか、事件に至る過程はどのようであったか、その背景にはどういった事情があったのか、といったことを詳細に調べ上げることを目的にしている。それは、裁判の資料にするためである。

 事実関係や証拠については、実に詳細に信頼のおける資料であるが、なぜ被疑者がその行為を行ったのかについて、深く掘り下げることはしない。警察官は犯罪心理学を学んでいるわけではなく、そのための知識を特に身につけているわけではないし、そもそも動機の解明自体は警察官の生業ではない。必要なのは事実の把握と、犯罪の立証である。裁判で被告に求刑をする検察官も基本的には同様である。

 

 裁判では弁護士が同じく事件について情報を把握して意見を述べるが、それは被疑者を弁護するためであり、動機を解明するためではない。もちろん、動機を解明しようとするかもしれないが、基本的に法律の専門家であるので、動機の理解、解明は不得手である。

裁判官は検察側からの情報、弁護士からの情報、その他、当該事件についての情報を得て、妥当な判決を下すことが仕事であり、動機の解明を主たる仕事とはしていない。同じく法律の専門家であり、動機の理解、解明は不得手である。

 動機の理解、解明が不得手であると書いたが、これについて、警察官、検察官、弁護士、裁判官を貶めたり、批難しているわけではないことは了解していただきたい。この職に就かれる方々は、高度の専門性と使命感をもって、犯罪を社会の中で取り扱う仕事に従事されているのだから。ここでは、単に役割の違いということであり、動機を解明するということについては、その主たる任務ではないということである。

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3 裁判における動機の理解

 実際の裁判で、動機がどう取り扱われているかを見てみよう。

 少し長くなるが、平成16(わ)288、強盗殺人事件、裁判判年月日 平成16年11月01日、仙台地方裁判所第2刑事部の判決書を以下に示す。判決が無期懲役となった事件である。

(犯行に至る経緯)

1 被告人の身上等

 被告人は,宮城県塩竈市内で出生し,高等学校卒業後,ビル等の施工工事を行う仙台市内の会社(以下,便宜上「ガラス工事会社」という。)に就職して,施工部門でガラス工として10年くらい稼働したものの,平成14年8月に退社し,その後,上記ガラス工事会社から独立した先輩の会社等で臨時アルバイトのガラス工として稼働していたが,平成15年7月初めころ,ガラス工事業を営んでおり,かつて上記ガラス工事会社の先輩であったA(以下「被害者」という。)と再会し,仕事があるけどやらないかなどと被害者に誘われ,同月下旬ころから被害者の下でも働くようになり,少ないときでも週に二,三日は被害者の仕事をし,平成16年2月以降はほとんど被害者の下で働いていたが,その間の平成12年10月に妻と婚姻し,本件当時,妻は被告人の子を妊娠していた。

2 被害者の身上等

 被害者は,昭和26年に仙台市内で出生し,高等学校を卒業後,約2年間自衛官として勤務し,次いで,前記ガラス工事会社に就職して営業部門で働いていたが,平成8年ころに退社し,その後,A建具店の屋号でガラス工事業を行うようになり,本件当時,脳梗塞の症状が悪化した父を仙台市内の病院に入院させ,痴呆症の母と2人で事務所兼自宅で生活していたが,被害者の母は,本件犯行当時,介護サービスを受けて外出していた。

3 犯行に至る経緯

(1) 被告人は,高校1年生のころ,初めて遊んだスロットで勝ち,以後スロットに夢中になり,小遣いの範囲内で遊んでいたが,就職してから本格的にスロットで遊ぶようになり,当初は勝つことも多かったものの,その後はなかなか勝てず,そのために給料を使い,20歳のころから,いわゆる消費者金融から借り入れた金員をつぎ込み,返済できずに次第に借金をふくらませ,さらに,勧誘されるままにローンで商品を購入するなどして合計約450万円の債務を抱えてしまい,平成10年2月ころには,東京都内の弁護士事務所を訪ねて自己破産の手続を依頼し,勤務先の前記ガラス工事会社から120万円もの金員を借りて同弁護士事務所に預けるなどした。

(2) しかし,被告人は,このようなことがあってもスロットをやめられず,時間があればスロットで遊び,給料のほか,実母や消費者金融からの借金などをスロット遊びにつぎ込む一方,前記婚姻した妻には,自己破産したからもう借金はできないなどと言って,消費者金融等から借り入れていることを隠してきたが,平成14年10月ころには,返済に行き詰まり,高利貸しから金を借りたことが妻や義父の知るところとなり,義父の怒りを買い,娘と離婚するように迫られ,妻や被告人の両親のとりなしで何とか怒りを収めてもらったものの,義父からは今後同様のことがあれば娘と離婚させる旨申し渡された。

ところが,被告人は,それでもスロットをやめられず,平成15年3月ころからは前記臨時アルバイト先の会社から仕事の依頼が少なくなり,同年夏ころには仕事が全くなくなってしまっても,それまで行っていたように,妻名義で消費者金融から借金をして生活費等に充てる一方,実家の両親から借金したり,前記臨時アルバイト先の代表者からも合計31万円を借りるなどして,暇にまかせて昼間からスロット遊びをし,被害者の下で稼働するようになっても,相変わらずスロット遊びを続けていた。そして,仕事の予定がない日にも,妻には仕事に行く旨嘘をついてスロット店に赴いていたことから,その嘘を取り繕うため,その分の日当相当額も妻に渡さなければならず,これをスロットで稼ごうなどと考え,ますますスロットにのめり込み,同年8月には,受け取った日当をスロットで費消してしまったのに,ナイフで自己の右肩を自ら傷つけた上,強盗に襲われて日当約17万円を取られたなどと妻に嘘をつき,これを信じた妻が警察に通報したところ,結局,嘘が発覚してしまい,警察官に厳重に注意されたものの,離婚を恐れた妻が,義父に事の次第を話さなかったために,妻との離婚は免れたということもあった。

(3) 被告人は,同年12月初めころ,被害者に対し,「日当をスロットで使ってしまいました。女房に生活費を入れなきゃならないので貸して下さい。」などと言って借金を頼み,平成16年1月末までに返済する約束で10万円を借り受け,さらに,同月中旬ころには,新たに35万円を被害者から借り受け,先の借金と合わせて合計45万円を同年3月20日ころまでに返済すると約束したが,これらの金員の一部は妻に渡したものの,残りはスロットに使うなどして全て費消してしまい,上記約束の期日までに返済金を用意することができず,被害者から同月末まで返済期日を延ばしてもらった。しかし,被告人は,同月末までにも返済金を用意できなかったことから,1か月くらい返済期限を延ばしてもらうおうと考え,「今,親に相談してますから,4月20日ころまで待って下さい。」などと被害者に頼んで了承を得たものの,同月5日に被害者から日当を受け取った際,金のありがたみが分からないのだから,借金を返済するまで金のない生活をしてみろなどときつく言われ,同日以降は,被害者から,それまで日払で受け取っていた日当の支払を止められてしまった。なお,被告人は,同年3月末までの返済ができなかったときに,被害者に,日当の一部を天引きして返済に充てて欲しい旨申し入れ,その後日当を受け取った際,被告人の計算によれば,稼働した日数と比べて渡された日当が2万円くらい少なめだったことから,被告人の申し入れのとおり,被害者が2万円くらいを天引きし,借金の返済に充ててくれたものと考えていた。

ところで,被告人は,被害者に借金をしていることやその返済をしないために被害者から日当の支払を止められたことを妻に話しておらず,また,前記のとおり,仕事に行くと称してスロットに興じていたので,妻に渡さなければならない金員が嵩み,そのため,同年4月中,給料をまだもらっていないなどと言って,実母から合計約18万円,義父から五,六万円をそれぞれ借りるなどし,そのうちの一部を日当と言って妻に渡したが,残りの金員をスロットに費消するなどしてしまい,妻から給料を早く持ってきてよなどと厳しく迫られて困ったものの,借金を返さない状態のまま日当の支払を要求すれば,被害者から怒られるのが目に見えているなどと考えて,被害者に日当を支払って欲しいとは言い出せないでいた。

(4) 被告人は,同月20日,被害者から電話で借金の返済を催促された際,ほとんど所持金がなく,金策の当てもない上,これ以上実家や義父から金を借りることもできないと考えていたのに,被害者に対し,「今日は遅くなる。親には話しているので,明後日でもいいですか。」などと嘘を言って同月22日まで支払期限を延期する了承を得たことから,何とかしてその日までに45万円を作らなければならないと焦り,同月21日には,3000円くらいを使ってスロットをしたが,金を増やすことはできず,2人の叔母にも借金を申し込んでみたものの,断られてしまい,さらに,電話で被害者と仕事の話をした際,金は明日できるんだろうなどと言われ,ますます焦りを募らせた。

そして,被告人は,翌22日,前日に相談した叔母のうちの1人に直接会うなどして,再度借金を申し込み,仕事上の取引先の営業社員にも借金を申し込むなどしたが,いずれも断られ,さらに中学時代の同級生にも電話をかけて借金を申し込むなどしたが,結局,返済金を用意することはできなかったものの,被害者に対しては,金の用意ができたような振りをして,電話で「今日はもう遅いので,明日でもいいですか。」などと言って,翌23日朝までの支払猶予の了承を得た。しかし,被告人は,かねてから妻に対しては,被害者の都合で日当がもらえないなどと話していたため,同日帰宅後,日当分の金員を持ってこなかったことについて怒った妻から,「どうしてもらってこないのよ。」などと言って厳しく叱責され,「社長だって大変なんだから仕方がないよ。」などと嘘を言いながらも,妻の叱責に重圧を感じていた。

(5) 被告人は,同月23日朝,車で自宅を出発し,消費者金融の自動契約機から妻名義で5000円を借りようとしたが,カードの暗証番号を間違えたために引き出すことができず,わずか100円余りの所持金しかないまま,何とかして金策して被害者に借金を返し,日当を支払ってもらおうなどと考え,仕事上の取引先の代表者に借金を申し込んだが,断られ,さらに,前日に借金を申し込んだ中学時代の同級生からも借金を断られてしまったため,被害者から,同日に返済できないことで怒られるとともに,今後は仕事を回してくれなくなるかもしれない,そうすると生活できなくなるが,それは避けたい,しかし,もはや金策することもできない,日当がないまま自宅に帰っても妻から怒られるなど思い悩んで追い詰められた気持ちになり,被害者から2度にわたって携帯電話に電話がかかってきてもこれに出ないでいたが,何とか被害者に謝って,返済を延期してもらうか,分割払にしてもらい,日当については少しでも払ってもらうしかないなどと考え,被害者に電話をかけ,まだ自宅にいるように装って,「今起きて,今から支度していきます。」などと被害者方へ行く旨を伝えたが,その際,被害者から,切るものがあるのでカッターを持ってくるよう言われた。

そこで,被告人は,被害者方に着く前に一旦車を止め,着用していた仕事用のズボンを車に積んであったチノパンに履き替え,被害者方付近に到着して車から降りると,仕事の際に着用する安全帯に差し込んであったカッターナイフを取り出し,ズボンの右ポケットに入れて,被害者方に入った。

(6) 被告人は,被害者方茶の間において,テーブルを間にして被害者と向かい合わせに座り,被害者に対し,返済金を用意できなかったことを話した上,両親に頼んでいたが,金員を用意できなかった,返済を延期するか,分割払にして欲しい,生活できないので,日当も幾分かでももらいたい旨頼んだところ,被害者は,「なんだ,返すもの返さないで日当欲しいなんて。」などと強く怒って,テーブルの上に置いてあった被害者の財布をつかみ,「日当だらこんなもんだべ。」などと言いながら,被告人の方にその財布を放り,さらに,「もうおめえで話になんねえから,親のとこ行って話すっから。」と言って立ち上がり,茶の間を出ようとした。

 そのため,被告人は,被害者が実家に行けば,被告人が被害者から借金をしていたことが両親や妻に発覚し,今度こそ義父に知れて妻と離婚させられてしまう,また,被害者への返済について,親に相談している旨の嘘が被害者に露見すると思い,被害者を止めようと立ち上がったが,その際,財布を投げつけられたことから馬鹿にされたという思いで立腹していたものの,どうしても金員が欲しいという切羽詰まった気持ちから,左手で受けとめて持っていた被害者の財布をとっさにズボンのポケットに入れた。

これを見た被害者は,被告人に対し,「それはおめえ泥棒だべ。払うもの払わねえで日当欲しいっていうのは。」などと言い,さらに続けて,「おめがそんなことすんのは,親の育て方も悪いんだべ。おめえの女房も若くたってだめ。おめえたちの子だって,生まれてきてろくなもんになんねえべ。」などと言ったため,被告人は,被害者に事情を話して謝れば,支払期限を延ばしてくれたり,日当の一部でも払ってくれるのではないかと期待し,被告人がこれだけ金策に努力したことは,被害者も分かってくれると思っていたのに,被害者が,そのような被告人の気持ちを全く理解しないばかりか,被告人を泥棒呼ばわりした上,両親や妻やまだ生まれてもいない子供を罵るなどしたのは許せないなどと考えて激高し,「こんな奴に借金なんて払わなくていいや。なしにしてやる。財布も奪ってやる。もうこんな奴死んでしまえ。」などと考えて,被害者を殺害して財布を奪うとともに借金を免れることを決意し,被害者の腕をつかんでいた両手を離し,左手で被害者の右肩の辺りを強く突いて押し,右手でズボンのポケット内のカッターナイフを握り,カッターナイフの刃を押し出した。

(罪となるべき事実)

   被告人は,A(当時53歳)から合計43万円を借りていたものであるが,同人を殺害して金員を強取するとともに,同人に対する債務の返済を免れようと決意し,平成16年4月23日午前10時30分ころ,仙台市a区b町c番d号所在の同人方において,同人に対し,その頚部等を所携のカッターナイフ(平成16年押第47号の1ないし4・なお,カッターナイフの刃3枚(同号の2ないし4)は,カッターナイフ(同号の1)に装着されていた刃の一部が犯行中に折れたもの)で多数回にわたり突き刺したり切り付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を右総頚動脈切断により失血死させて殺害した上,同人所有に係る現金約18万8000円ほか37点在中の財布1個を強取するとともに,上記債務の弁済を免れて財産上不法の利益を得たものである。

 以上が強盗殺人の内容である。判決書ではさらに、強盗の故意性や殺意の有無についての認定、情状と続くが、とりあえずここまでを引用する。

事件に至る経緯や事件の内容に関する事実関係については、かなり詳しく記載されているという印象をもたれたのではないか(実際に裁判に提出される調書は写真等の資料も含んで、さらに詳細である)。

 ところが、ここには加害者のパーソナリティについて心理学的に言及されたところがほとんどないことが見て取れる。加害者の性格傾向、行動傾向、知能といったものに関する記述がないのである。

 また、事件に至る過程、あるいは事件現場で、都度都度に加害者が何を考えたかについては書かれてはいるものの、加害者の犯行に至る経緯や事件現場での行動を統一的に了解できるような心的な力動については、ほとんど触れられていない。 

 では事件に至った動機は、どのように書かれているだろうか。動機と思われる部分を再掲する。

 『・・・・・・被告人がこれだけ金策に努力したことは,被害者も分かってくれると思っていたのに,被害者が,そのような被告人の気持ちを全く理解しないばかりか,被告人を泥棒呼ばわりした上,両親や妻やまだ生まれてもいない子供を罵るなどしたのは許せないなどと考えて激高し,「こんな奴に借金なんて払わなくていいや。なしにしてやる。財布も奪ってやる。もうこんな奴死んでしまえ。」などと考えて,被害者を殺害して財布を奪うとともに借金を免れることを決意し,被害者の腕をつかんでいた両手を離し,左手で被害者の右肩の辺りを強く突いて押し,右手でズボンのポケット内のカッターナイフを握り,カッターナイフの刃を押し出した。』

 これではただ単に、

加害者が被害者から金を借りようとしたが断られ、自分と家族のことを被害者から罵られたのでカッとなって殺した

ということしか述べられていない。

 確かに、それはそうなのだろうし、本人もそう言っているのかもしれないが、これが強盗殺人という重大事件が引き起こされた動機として納得できるだろうか。動機としては簡単に過ぎるというか、別に、金を借りようとして、断られたとか、罵られたくらいのことは、それほど珍しくはない出来事ではないか。これが動機で強盗殺人が起きるのであれば、強盗殺人が生じるハードルは低くすぎるのではないか(ここで述べているのは、その動機が納得できるかどうか、説得力があるかどうかということである)。

 

4 臨床心理学的な視点からの動機理解

 判決書に見る、事件に至る経緯では、本人が金銭的に追い込まれ、精神的にも追い込まれていった経緯が見て取れるのではあるが、そうした心理機制に関する分析はほとんど触れられていない。

 そもそも、犯罪の動機について理解するとは、本人のパーソナリティについての理解と、状況との相互作用で生じる心理的な過程を、もっと了解できる形で説明する、ということである。そうでなければ、どうしてこういった事件が起こったのかということの説明にはならない。

 ここから先は推測であるが、例えば、パチスロで金銭の浪費を繰り返していることから、本人は自己統制力に欠けるところがあるのではないかと思われる。先々のことを十分に考えて計画的に行動することが難しく、快楽追求的、成り行き任せ的に行動しやすいのではないか。おそらくは精神的に税胃弱であり、また、小心、気弱なところがあるものと思われる。後先を顧みず、目先の欲求に流されて行動するが、その結果生じ結果や責任を取りきれるだけの強さや主体性に欠けており、そうした弱さゆえに周囲の人間に嘘を重ねて取り繕ってしまうため、ますます精神的に追い込まれ、追い込まれるとそこから逃げるように一層ギャンブルにのめり込み、情緒面が不安定になり、冷静な判断力が失われた結果の破綻が本件に結びついたとか・・etc

 ここで述べた強盗殺人事件が引き起こされるプロセスは、判決書を見て書いただけの全くの推測であり、特段の根拠もないし、分析としては緻密さを欠き、そもそも分量が足りないことは承知願いたい。ただ、こうした心理的なプロセスや本人の性格、行動に照らして分析してこそ、本件非行の動機が了解できる形で説明されるわけである。そのためには、本人の生育歴、家族歴、事件に至る経緯について、ただ単に事実を列挙するだけではだめで、仮説を立てたり、解釈を加えたり、必要に応じて心理検査を実施し、本人が犯行を起こすにいたったメカニズムを明らかにしていかなければならないのである。

 我が国の刑事事件手続きにおける、動機の解明が不十分といったわけがご理解いただけたであろうか。

 日本の刑事裁判のシステムでは、精神鑑定が行われない限りは、心理学的な専門知識を有する者が、犯罪の解明に関わることはない。それゆえ、マスコミで話題にはなるものの、刑事司法システムの中では、事件の、そして加害者の心理学的な特性が説明されることはないまま処理されていくのである[1]。

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[1] 一方、少年事件の場合には少年鑑別所に勤務する法務技官、家庭裁判所の調査官という心理学の専門家が、非行少年の犯罪の動機解明を行うというシステムが取られている。この点は、刑事裁判とは対照的である。

5 捜査と犯罪の構築

 最初にお断りしておくが、本稿は検察や警察について、非難や批判をするために書いたものではないことをご了解願いたい。

 2010年9月21日、大阪地検特捜部の主任検事が、押収したフロッピーディスクを改ざんしたという容疑で、逮捕された。裁判において証拠となる物品を改ざんしたという容疑であるから、検察の信頼を揺るがす事件であるとして、マスコミは大々的に報じている。ネットでは、例えば、以下のような記事となって報じられている。

主任検事を逮捕=郵便不正事件データ改ざん-証拠隠滅容疑、故意は否定・最高検
 障害者割引郵便制度の悪用に絡む厚生労働省の偽証明書発行事件で、大阪地検特捜部が押収したフロッピーディスク(FD)内の文書データを改ざんしたとして、最高検は21日、証拠隠滅容疑で、同事件の主任検事前田恒彦容疑者(43)を逮捕した。
 村木厚子同省元局長(54)への無罪判決で、特捜捜査の問題点が指摘された事件は、検察そのものの信頼を揺るがす事態へと発展した。
 逮捕容疑は昨年7月中旬ごろ、捜査で押収した厚労省元係長上村勉被告(41)=公判中=のフロッピーディスクに記録された文書データを改ざんし、証拠を隠滅した疑い。
 関係者によると、前田容疑者は21日までの大阪地検の事情聴取に改ざんを認めたが、「誤ってやった」などと故意を否定する説明をしているという。
 最高検は同日に捜査を開始し、証明書事件の捜査にかかわった検事や当時の上司らを一斉聴取。上村被告の弁護側からFDの任意提出を受けていた。(2010/09/21-21:49 時事ドットコムから)

 おそらくこういった事件は前代未聞のことではあろうし、検察官が証拠を改ざんするとなると、重大な問題であるといわざるを得ない。その結果、無実の人間が罪に陥れられるとすれば許されるべきことではない。そういったことは、少なくとも簡単に言えることではあるが、それでは、なぜ、こういった事件が起きることになったのだろうか。
 マスコミが述べる背景の一つとして、検察官が自身の作ったストーリーに固執するあまり、そのストーリに都合の悪い証拠を改ざんしようとしたのだ、といった要因が挙げられる。同じく、ネットの記事では、

検察捜査、再び問題に=ストーリーに固執
 厚生労働省の村木厚子元局長(54)の公判では、大阪地検特捜部が当初描いた事件の構図に沿った供述調書を誘導によって作成したことが批判された。フロッピーディスク(FD)のデータ改ざん疑惑が新たに浮上した。故意であれば、違法ともいえる検察の捜査の在り方がいっそう厳しく問われそうだ。
 改ざんされたFDは検察側が証拠請求しなかった。このため、弁護側が公判前整理手続きで開示させた捜査資料が証拠採用され、最終更新日時が「2004年6月1日午前1時20分」と判明した。
 公判で検察側は日付を特定せず、村木元局長が6月上旬に元係長上村勉被告(41)に偽証明書の作成を指示したと主張。データを前提とすれば、元局長の指示は仮にあったとしても5月中となり、検察側主張は矛盾していた。(2010/09/21-13:11 時事ドットコムから)

といった報道がされている。検察官がストーリに固執したことが、データ改ざん行為が引き起こされる要因になったということである。ここで注意しておきたいが、検察官が事件について自身の描いたストーリーに固執すること自体は、犯罪ではない。そういうことをしていいのかどうか、ということについては議論の余地はあろうが。今回は改ざんしてしまったことが犯罪になったわけである。

 さて、それでは、犯罪でないが、議論の余地がある、「検察官がストーリに固執した」という部分について以下、考えていこう。

 

6 ストーリーに沿った取り調べ(1)

 検察官のストーリーに沿った取り調べ、という言葉を聞くと、皆さんもさすがにあまり良い印象を受けないのではないだろうか。なんだか、事件をでっちあげているような、すごく悪いことをしているような感触がある。

 私の知り合いで、司法関係者の一人が、新人の頃にある警察官に、「警察で取り調べをするときに、ストーリーを作って取り調べをすることってあるんですか?」と聞いたそうである。まあ、こんなダイレクトに質問をする方もする方であるが、そこは新人ゆえの若気の至りみたいなところもあったのだろう。そう質問された警察官は、さすがにちょっと色をなし、「そういった先入観に基づくような取り調べは一切やっていません!」と言ったそうで、質問者はすいませんと謝ったそうである。少なくとも、ストーリを沿った取り調べ、と言われると、警察官もそして検察官もやるのは後ろめたいことである(犯罪ではないが)、という感覚を抱いているのではなかろうか。

 ところが、ストーリに沿った取り調べ、あるいは、捜査そのものは、特段変わったことではなく、捜査活動の中で普通に行われていることではないかと筆者は考えている。

 そもそもの、この事件を見てみよう。証拠隠滅容疑で逮捕された、前田恒彦主任検事は、大阪地検の事情聴取に改ざんを認めたが、「誤ってやった」などと故意を否定する説明をしている。間違ってやってしまったと語っているわけである。

 だからといって、その内容で供述調書を取ってしまうわけにはいかないだろう。検察の側で、「改ざんはしましたが、故意ではありません。間違ってやってしまいました。」などという調書を取って裁判官に提出することはないだろう。

 なぜかというと、

「前田主任検事は、村木厚子同省元局長の裁判において、自身の作ったストーリーに沿った判決を得るために、そのストーリと矛盾する証拠であるフロッピーディスクに記録された文書データを改ざんした。」

 というストーリーに沿った供述を得ることが検察官に期待されているからである(ここでは誰が誰に期待しているのかについての議論には踏み込まない)。ここはやっぱり、「自身の描いたストーリに不利になるような証拠だったので、フロッピーディスクを改ざんしました。」という供述が検察としては欲しいところなのだ。

 いくら改ざんをした本人である前田検事が「誤ってやった。」と言っているからといって、はいそうですかと納得するわけにはいかないのである。ここまでの事件全体の話の流れから見れば、前田検事は自身のストーリーに沿った判決を得るためにフロッピーディスクを改ざんしたに決まっているからであり、だから、「誤ってやった。」などといった本人の言葉はうそをついているに決まっているからであり、真実に本人がやったに違いない、「自分のストーリーに反する証拠だからフロッピーを改ざんしました。」という供述をしてもらわなければならないのである。ということで、検察官は取り調べの過程において、あの手この手で頑張って、前田検事に今回のストーリーに沿った供述を引き出すことに腐心するわけである。

 ずいぶん皮肉たっぷりにくどくどと記載してしまったが、ご容赦いただきたい。

7 ストーリーに沿った取り調べ(2)

 前節では、ストーリに沿って裁判が行われることを企図して、改ざんをしたと疑われた検察官が、ストーリに沿った取り調べを受ける、といったパラドキシカルな話を書いた(その部分をあえて強調するように構成して書いた)。

大阪地検特捜部が押収したフロッピーディスク(FD)のデータが改ざんされた疑いのある事件で、証拠隠滅容疑で最高検に逮捕された同部検事の前田恒彦容疑者(43)が、「故意にデータを改ざんした」と認める趣旨の供述を始めたことが分かった。大阪地検の調査や逮捕後のこれまでの調べでは「誤って書き換えた」と意図的な改ざんを否定していた。
                                                         (asahi.com 2010年9月24日5時0分)

続報の記事では、このように故意に改ざんした旨を供述していることが報道されているので、その後、前田検事からは検察のストーリーに沿ったように供述が引き出されているようである。

 検察がストーリを作って供述を引き出すにしても、そのストーリーが真実であれば大した問題にはならないわけで、そのストーリーがいわゆるでっちあげであった場合に著しく問題になるわけである。

 今回、前田検事が疑われているように、証拠の改ざんがあったとすれば、それは言い訳のしようがない、重大な犯罪であるわけだが、ここから先は、「改ざん」という犯罪行為から少し離れて、ストーリーを作った取り調べについて考察していく。

 まず、何故に、ストーリーに沿った取り調べが行われることになるかと言えば(まるでストーリーに沿った取り調べが日常的に行われているかのような書き方をしたが、ここから先で説明するようなストーリーに沿った取り調べは、あっちこっちでやられている、と筆者は確信している)、犯罪者(ここからは前田検事の事件からは離れた話なので注意。犯罪者とはいわゆる一般の犯罪者を指す)というものは、とかく逮捕されると事件を否認するものなのだ。万引きなどで、犯罪を実行しているところを見つかって逮捕される、といった現行犯であればまだしも(それだって、「自分はやってない。」と供述する犯罪者はたくさんいる)、そうでなければまず自分はやってないと否認する。

 例えば、路上強盗をした犯罪者がいたとしよう。「道路で他人に暴力をふるって財布を奪って逃げた」といった犯罪である。警察は犯人を逮捕するために、例えば、目撃者の証言を集めて容貌の特徴や逃走経路を探ったり、現場に犯人の遺留品がないかどうかを探したり、すぐに警察への通報がなされていた場合には、現場に警察官を派遣したりといったことをする。そして、現場に派遣された警察官が、犯人が逃走したとされる方向で、どことなく挙動不審な男を見つけたとしよう。職務質問をするが、この時間に何をしていなのか、どこへ行くつもりなのか、今まではどこにいたのか、といったことにうまく答えられず、なんだかあやしい。そこで、一旦、最寄りの交番に連れて行って、詳しく事情を尋ね、所持品を調べていたところ、被害者が取られたと証言していた財布を所持していた。内容物を確認したところ、被害者の財布に間違いがない。目撃証言で容貌や年齢などがだいたい一致しており、逃走したとされる方面で職務質問も受けている。さあ、こいつが犯人に違いない。そこで、その不審人物を問い詰めたところ、

「私はやっていません。その財布は道路に落ちていたのをたまたま拾ったのです。」

と答えた。こういった話はよくある話である。その後、逮捕をして、取り調べを行うわけであるが、その取り調べで、供述調書に、その男が言ったまま、しゃべったままを書くわけにはいかないだろう。被疑者は道路に落ちていた財布を拾っただけです、といった供述調書を裁判に出すわけにもいかないだろう。だって、どう考えたってその男はあやしいから。その後、現場に残された犯人のものと思われる遺留品の手袋からは、その男と同一の指紋が検出されたりして。そうなると、もうこの男が犯人に間違いない、というストーリーで、供述を取るのみである。たとえ少々荒っぽいことをしたって。

取調官はこのように言うかもしれない。

「目撃者もいるんだ、指紋も出てきた、逃げた方向も同じだ、お前がやったんだろう、拾った財布なんて話が通用すると思っているのか、自分のやったことを自供しないというなら、おまえのようなやつは、何年でも刑務所にぶちこんでやるぞ。」

とか。机を叩いたり、怒鳴ったりするかもしれない。そうして粘った結果、その男は、「私がやりました。」と供述し始めた。

 こうしたやり方に一体何の問題がありますか?だって、その男が路上強盗をやったのは間違いないんだから。取調官も頑張って供述を引き出したわけだし、この供述をもとに起訴して、裁判でこの犯人を有罪にすることが社会的正義の実現ではなかろうか。たしかに、取り調べのやり方だけを見れば、刑事訴訟法第何条だかに抵触するかもしれないが。

 問題となるのは、本当はその男が実は強盗事件を本当はやっていなかった場合である。

8 ストーリーに沿った取り調べ(3)

 実際に、多くの犯罪者は、自分がやった行為について確たる証拠が突き付けられるまで、あるいは、警察官や検察官による取り調べが本格的に行われるまでは、事件を否認したりする。さらには、事件を否認したまま裁判となり、有罪判決が下りても事件を否認したままの犯罪者もいる(無実の罪ではなくて、本当にやっていた場合の話として聞いてもらいたい)。

 だから、「私はやっていません。」と言われて、「はいそうですか。」といった供述調書を作るわけにはいかない。もちろん、ストーリに沿った取り調べといっても、全く事実無根の物語をでっちあげるわけではなく、関係者からの供述や各種の証拠を十分に参考にしながら、被疑者は否認しているもののおそらくはこうであろう、と警察官あるいは検察官が十分に確信できるだけのストーリーを組み立ててから、それにそった供述が得られるように質問を重ねるわけである。最近は、そういう刑事ドラマでもあまりないかもしれないが、「(容疑者が)とうとう吐きました。」といった言葉の背景にはそういった事情がある。

 容疑者が否認を続ける場合に、神ならぬ我々には、本当にその容疑者が真犯人であるかどうかは、わからない(それは容疑者が自分の罪を認めたところで同じことではあるが)。少し脱線するかもしれないが、否認を続けている例としてこういった事例がある。ある子供たちを預かる施設の職員で、中年男性が小学生の女児を自分の執務室に呼びだして、服を脱がせることを強制し、裸の写真を撮影した、という容疑で疑われていた。こうした事案の内容は、許せないことであるが、本人はこの件について、以下のように述べていた。

「その小学生の女の子を執務室に呼んで、何か説明をしていたら、その女の子が自分で勝手に服を脱ぎだし、ポーズをとって、自分をカメラで撮ってくれと頼んできたので、自分はとりました。」

 こうした本人の話自体は、到底信じられるものではだろう。こうなると、取り調べの方針として、本人は否定しているが、女の子を自分の執務室に誘い出し、言葉で脅すなどして強制的に服を脱がして写真を撮った、というストーリーを作って、聞いていくしかあるまい。本人が否認を続けた場合には、裁判での決着を待つことになる。

 犯罪者は事件を否認することが少なくないので、証拠、証言等の情報からストーリーを作って供述を作ること自体は仕方がないのかもしれない。もちろん、最初からでっちあげで、無実の罪に陥れてやろうなどという、警察官や検察官はほとんどいないであろうから、作るストーリだって、それほど真実とかけ離れたものを用意するわけではない。一生懸命、犯罪者を逮捕し、悪い犯罪者を有罪にするために捜査機関は日々頑張っているわけだから。

 先にも述べたように、問題となるのは、そのストーリが真実と異なったものになる場合である。この場合には、冤罪が生じる可能性がたいへん高くなる。先にあげた例で、もし本当にその女の子が何らの強制も加えていないのに、自分から服を脱ぎ、自発的にポーズをとって、裸の私を撮影してくれと懇願してきた、そんなことが起こるとは到底思われないが、仮定の話として、そういったことが起こっていた場合には、警察や検察によって構成されたストーリに沿って真実をゆがめられた不適切な取り調べが行われる可能性が高くなるであろう。

 

 

9 犯罪者と接していて感じること

 犯罪者と面接などで接していると、とにかく嘘をつくことの多さには驚きを感じる。そして、最初のころは驚きを感じているが、そのうち、犯罪者が嘘をつくことに慣れ、そもそも、犯罪者は嘘をつくものだから、といった感覚を抱いたりするようになる。

 もちろん、犯罪者といってもあたりまえであるが、人間であり、人間は別に犯罪者でなくても社会生活でしょっちゅう嘘をついているのだから、その点では、変わりはないわけであるが、それでも嘘が多いと感じるわけは、やはり彼らと接する状況によるところが大きいだろう。

 何らかの犯罪をやってきたわけであるから、まずは、その犯罪から逃れようとしてやっていない、と言ったり、犯罪の内容をある程度認めた場合にも、できるだけ自分の罪が軽くなるように嘘をついたり、あるいは、嘘をつかないまでも、しゃべることを拒否したり(これは黙秘権という認められた権利である)、どうにも罪を逃れ得ないとわかると、自分の処分を軽くしようとして、自分に都合のよいような話を作ってしゃべりだしたり。取り調べの現場で接する犯罪者は、こういった感じで、嘘をつくことが多くなっていると思われる。もちろん、私自身が何か犯罪をして逮捕をされたら同じような行動をとるかもしれないが。また、嘘つきは泥棒の始まりという言葉があるが、あるタイプの犯罪者は嘘をつくことが平気であったり、日常的に嘘をついたりしていることもある。

 取り調べのような場面で犯罪者と接することを繰り返していると、犯罪者の言っていることは、まず最初からあまり信じられない、といった思いを抱くようになる。そして、実際に、嘘をついているときも結構あるわけだから。そうなると、目の前にいる被疑者は、口では自分はやっていないと述べてはいるが、本当はそんなことはなく、犯罪者というものはとかく嘘をつくもので、各種の証拠や証言からはその被疑者が真犯人である傾向が示されているわけであるから、本人はそうはしゃべってはいないものの、きっとこういう経緯で犯行現場に向かい、こういった思いから犯罪に走ったのだろう、といった具合にストーリーを作るのは、それほど不自然ではない流れであろう。

 実際には、そうしたストーリーに沿って、真実の行動が行われていた場合もたくさんあるわけで、ストーリーに沿った供述を得ようとし、嘘をついている犯罪者から自供してもらうということが、この場合には、問題にはならないのである。

10 どうして捜査でストーリーがつくられるのか(1)

 これまで長々と書いてきたが、どうしてストーリーを作るかといえば、一つは、犯罪者が嘘をつくからである。犯罪者の言ったことを、単純にそのまま供述調書に取っているだけでは、捜査はなりたたないし、場合によっては、本当に犯罪を犯してきたものが裁判で有罪にならないかもしれない。

 実は、ストーリーが作られる理由はこれだけではないと筆者は考えている。考えられるもう一つの理由としては、以下のようなことがあるのではないだろうか。それは、人間というものは、自身の様々な行動について、常に一貫性を持っていたり、常にここの行動には他人が納得できるような動機が存在している、というわけでは必ずしもない。

 日ごろ、周囲のいろいろな人にしゃべっていることが、すべて相互に矛盾していないかと言われれば、そんなことはないだろうし、言っていることと、行動していることが矛盾することも少なくないだろう。日ごろの言動や活動全てについて、納得のいくような合理的な説明ができるわけではない。

 若干抽象的な言い回しになってしまって申し訳ないが、適当な例をあげることが難しいもので、ご容赦願いたい(思いついたら訂正します)。さて、人間の行動というものは、一貫性を欠いたり、合理性を欠いたり、矛盾を含むことが少なくないわけであるから、供述調書を作る際に聞き取りをした場合、しゃべっていることをそのまま書くと、そこに書かれた内容は、ややもすると一貫性を欠いたり、当人の行動、あるいは当人が語る他人の行動に合理性が見られなくなったり、矛盾したりすることがでてきてしまう。簡単に言うと、まとまりを欠いた、非常に読みづらく、理解しづらいものになってしまう。

 そこで、行動が矛盾していたり、行動の動機が不明確であったり、合理性を欠いていることが起こるようなときには、面接をしながら、適宜、当人に聞きなおし、動機について考えさせ、こうだったのではないかという推論を提示したりしながら、供述調書をまとまりのある、理解しやすい、読みやすいものにしていくための共同作業がおこなわれることになる。

 こうしたいわばナラティブな過程においては、辻褄が合う、まとまりのある事件におけるストーリーを取り調べる側と、取り調べを受ける側で、共同して作っていると言うこともできよう。にもなろう。この場合、取り調べる側は、取り調べを受ける側よりも、こうした作業に慣れているわけであるから、ストーリーの道筋や解釈、行動の意味付けについて、取り調べを受ける側を先導していくことが多くなる。もちろん、その場で、被疑者が納得しているのであれば、そうしたことはおよそ問題になることはないだろう。些細な部分で、被疑者がそれは事実と違う、と思っても、それが本当に瑣末な部分で、事件に大きく影響をしなければ、取り調べ側が提示する、わかりやすい、納得しやすい、理解しやすいストーリニーを優先させていくことも生じてくる(それは、事実のねつ造と言えばねつ造である)。

 多くの場合で、被疑者が、事件をやったことを納得しているのであれば、例えば、殺人をした、ということを認めているのであれば、それに至る動機やそこに至る行動について、些細な事実誤認があろうとも、結局は殺人をやったことには間違いないわけだから、ということで被疑者もある程度納得するわけである。

 このような過程が、ストーリーに沿った取り調べが行われる理由の一つと考えられる。

11 どうして捜査でストーリーが作られるのか(2)

 もう一つ、捜査でストーリーが作られる理由を挙げよう。それは、先に挙げた理由と似たようなものかもしれないが、わかりやすく、説得力のある供述調書を作ろうと警察官や検察官が努力をするために、ストーリーが作られる、という点である。

 なぜわかりやすく、説得力のある供述調書を作らねばならないかと言うと、それは裁判で裁判官を納得させなければならないからである(さらに、昨今は裁判員制度が導入されているので、一般市民である裁判員を納得させ、説得するような供述調書を作ることが要請されている)。

 基本的に、検察官が起訴を行うということは、犯罪を犯した悪い犯人を処罰するために行っているので、裁判でそれが認められないということは、悪い犯人が処罰されないという大変なことになってしまう。さらには、裁判所を説得できず、悪い犯人を処罰に持っていくことができない検察官は、仕事のできない、能力のない人という評価を受けることになってしまう。検察官が、起訴をし、被疑者を裁判にかける場合には、有罪判決を得ることが、検察官の目標となる。

 実際の検察官が頻繁に使っているのかどうかは不案内であるが、「(裁判を)やるからには勝たねばならない。」とか、有罪判決を得られないことを負けると言ったりとか、裁判において、勝つとか負けるといった感覚を持っているのだろうか。もしそうだとすれば、本当はおかしな話ではある。なぜならば、犯罪行為が行われたかどうかは、真実そうしたことが本当にあったかどうか(実体的真実)を淡々と、あるいは粛々と調べていき、それについて裁判で結論が下されればよいわけで、勝った、負けたという概念が入り込む余地は本来はないはずである。

 もっとも、こうした勝った、負けたという概念が発生するのは、検察側と弁護側に分かれてより高次の意思決定者である裁判官を説得するという構図(対審構造)に裁判がなっている以上はやむをえないことなのかもしれない。また、実際の取り調べや裁判では、被疑者が全力を出して自身の罪を否認したり、罪を軽くしようとしてくるわけであるから、それに対して、本当に悪いことをしたものに、厳正なる処罰を求めるためには戦っていかなければならないのだろう。ある検事は、「取り調べは戦いだ。」と言ったそうであるが、現場で社会正義の実現のために戦っているの検察官や警察官は本当に大変だと思う。

 さて、話が少し横道にそれたが、裁判に勝つために、裁判所を説得しなければならないとすれば、供述調書は説得力のある、辻褄の合った、合理的な説明がなされた、さらには、より被疑者の悪質性をアピールできるような内容にすることが必要となる。

 それが故に、わかりやすくて、誰もが納得のいく感じのストーリーを作って、それにそって供述をとることが必要になってくる。

 

12 どうして捜査でストーリーが作られるのか(3)

 筆者が少年鑑別所で働いていたころ、複数の男性が集団で一人の女性を強姦したという事件を取り扱ったことがある。そうした事件自体はそれほど珍しいものではないのだが、家庭裁判所の調査官が持っていた供述調書を見せてもらったところ、強姦をやった側の一人の供述調書に、強姦をやった動機として、

「通常の性的関係に飽きたらなくなってやりました。」

といった記載がなされていた。さすがにこれには調査官共々ちょっと驚いた。本人がそんなことを取り調べの段階で言っているとしたら、かなり変というか、ちょっと常軌を逸した犯罪者なのではないだろうか。それで、面接場面で本人に対して尋ねてみた。

筆者:「今回の強姦事件は通常の性的関係に飽き足らなくなってやったのですか?」

少年A:「そんなことはないです!」

筆者:「でも、供述調書にそう書いてあったようだけど。」

少年A:「あれは、なんで今回の強姦をやったんだ、動機はなんだと取り調べ官に聞かれて、答えられなくて、つまっていたら、取り調べの人に、通常の性的関係に飽き足らずやった、そうではないのか? と言われました。それで、違います、そんなことはないです、って答えたら、じゃあ何でやったんだ?って聞かれて、それで答えられなくて、そしたら、通常の性的関係に飽き足らずやった、そうだな、ともう1回言われて、それでそういうことになりました。」

 ということで、あくまでも本人の言によればであるが、この動機の部分は、取り調べの際に警察官から誘導されて書き加えられたとのことである。もし、少年Aの言っていることが本当であるとするならばであるが、取り調べの過程において動機がねつ造されたことになる。といっても、別に少年Aが無実の罪に陥れられるということではない。強姦をやったのは事実であるし、少年Aもそのことを認めている。いずれにせよ、強姦をやったことは事実だから、という理由で、少年A自身もこうした供述調書が作成されたことについては容認していたようでもあるし、この件は、その後の少年審判の流れでも特に問題とされることもなく、影響を与えることもなかった。

 動機については、犯罪をやった当人が、自身の犯罪行動の動機を詳しく説明することは難しい、と先に書いた。それで、世間が納得できるような動機の部分を、取り調べに当たった警察官が考えてあげた、ということになるのだろうか。

 もともとこの事件についての、本人の認識としては、「仲間と数人で飲んでいて、かなり酔っぱらって外に出て、ナンパをしているうちに、強引に女の子を家に連れ帰って、エッチしたいというのもあって強姦してしまいました。」というものである。そうした行動が引き起こされた要因については、本人の資質面や集団内の力動といった点で分析を加えていくことは可能であるが、本人の供述としては、「」に記載したものを載せておくのが一番真実に近いであろう。

 少年Aの取調官とのやりとりが真実であるとすればであるが、無理をして動機の部分をねつ造するのはなぜなのか、正直なところ、私にはわからない。酔っぱらった勢いでやった、という少年の認識をそのまま供述したのでは、説得力が乏しいと思ったのだろうか、あるいはもっと少年Aの悪質性を演出したかったのか、そしてそのような供述調書を作ることはその警察署の方針であったのか、取り調べに当たった警察官の個人的な性向であったのかは、よくわからない。

 繰り返しになるが冤罪ではないのだから構わないだろうという気もしないでもない。それにこの事件では、ねつ造された動機が、その後の少年審判の行方に影響を与えたわけでもないようである。

 ただ、こうした動機レベルでのねつ造が、警察の取り調べにおいて結構、おこなわれているとすれば、ストーリを作って取り調べをし、そのストーリにそった供述をねつ造するということであるから、少なくとも好ましいことであるとは思われない(繰り返すが、少年Aと取調官とのやりとりは、少年Aから聞いただけで、確証があるわけではない。また、警察官が犯罪者を逮捕するために日夜頑張っているのも間違いがない)。そこから、今回の前田検事のような、証拠の改ざんまでには、まだまだ越えなければならない一線があると思われるが、被疑者の供述だって立派な証拠の1つであり、それをねつ造するという行為は、だいぶその一線に近づいているのではないかとも思う。前田検事のような証拠の改ざんが起こる可能性を高めるような要因、体質といったものは、やはり検察内部にあったのではないかと私が考えるのは、こういったことによる。

 しかしながら、それでは一体、警察や検察官はどうすればよいのだろう。最初に書いたように、本稿は検察や警察を非難する目的で書かれたのではない。本稿は今回のような改ざんが行われた背景には、こうした要因があったのではないか、といったことを指摘することが目的である。そして、指摘した捜査機関の側にある要因、それは体質と言ってもよいと思うが、それ自身は、ある程度やむを得ないところもあるとは思う。

13 取り調べの現状をどう考えるか

 筆者は、当り前であるが、社会一般の人々が思っているように、冤罪は許されないことだと考える。警察や検察が構築したストーリーに従って、捜査や取り調べを行い、その結果、無実の人間を罪に陥れるようなことは絶対に許されない。

 ところが、そのために、ストーリーに従った捜査や取り調べを一切やめるということも、この世の中に作られた犯罪を処理していくシステム、刑事司法システムにおいては難しいのではないかとも思う。これは、冤罪もやむを得ないと言っているわけではない。ただ、現実に、逮捕された被疑者が述べることをそのままに供述調書にするわけには、今の制度上は困難があるかもしれない。

 少なくとも現在の裁判では、裁判員制度の存在もあって、わかりやすくて説得力のある検察側からの主張が求められる。供述調書にしたって、実際に被疑者がしゃべったことをそのまま載せたとしたら、読みにくく、理解しにくく、被疑者の行為のどの部分が犯罪に当たるのかも判然としたようなものが出来上がるであろう。それを読んだ裁判員や裁判官はどう思うだろうか。調書づくりと言う作業を経験したことがないものが、もしそうした読みにくい調書を見たとしたら、警察や検察官の調査能力をかえって疑うのではないだろうか。

 また、本当に犯罪をやったものが、普通に事件を否認しているものをそのまま調書に載せるだけでは、否認事件が増えるだろうし、それはそれでよいかもしれないが、深く突っ込んで犯罪内容について捜査を行うこともなくなってしまうかもしれない。さらには、本当に犯罪をやったものを罪に問えないといった状況がでてくるかもしれない。

 犯罪者と向き合う取り調べの場は、検察官や警察官にとって、確かに戦いの場であろうし、裁判で裁判員や裁判官を説得しなければならない苦労はやはり大変だと思う。また、検察内部では勝った、負けたという発想のもとで、常に有罪判決を目指して勝ち続けなければならないプレッシャーも相当なものだろう。

 また、本稿ではあまり触れてこなかったが、殺人事件で証拠が確実にあり、被疑者も殺人をしたことを最初から認めているような事件では、有罪判決に持っていくことはさほど難しいことではない。ところが、事件が複雑になってくると、どのように事件を構成して、有罪を得られるように持っていくかというのが難しくなってくる。犯罪をする人間の意志や行動は、特段、検察官が事件を立件しやすいように刑法上の構成要件に沿って行われているわけではない。政治家の汚職や大企業の談合事件、そういったものは、ぜひとも厳しく追及してもらいたい問題ではあるが、そういった複雑で難しい事件になればなるほど、ストーリーを綿密に練り上げ、事件を構成していかないと、立件が難しくなってくる。単純に、証拠を集めて、被疑者や参考人の話を聞いていればいいというものではなく、事件を構成するのに必要な情報を集め、必要でない情報を切り捨て、供述で事件を構成するのに必要な情報を被疑者から引き出すことをしなければ、およそ事件として立件し、有罪判決まで持っていくことは難しい。そして、犯人の側も(あくまで悪いことをやったというのを前提で書くが)、必死で罪を逃れようとしたり、罪を軽くしようとしてくる。犯人自身も自分のやった行為のどこがどう犯罪に該当するのかを自覚していないこともあるだろうし、仮に自覚していたとしても否認をしてくるであろうし。

 本当に悪いことをやった人を、裁判で有罪にし、そうでない人は無罪になるようにする。世の中で犯罪を取り扱ううえで、この原則は最重要であると考えるが、それを実現することは極めて難しい。今、我々が作り上げている制度は、それでも比較的機能しているし、ある程度良好なものとも思えるのだが(昔、国王が犯罪を裁いたり、町奉行が犯罪を裁いていたころよりもよいのではないだろうか)、しばしば冤罪が起こったり、行き過ぎた取り調べが問題になっているところをみると、まだまだ改善の余地があるのだろう。

 とはいえ、何をどう改善するかについては、この刑事司法システムのからくり全般をきちんと把握してから改善方針を立てる必要がある。そして、現行のシステムを改善するに当たっては、改ざんをした悪い検事、そうした検事が出てくるにいたった検察の悪い体質、といった事柄をセンセーショナルに取り上げるだけでは不十分であると考えている。本稿で、私が記載したことは、あまりマスコミではとりあげられない話であるし、多分、今後も世の中の話題に出てくるような話ではないだろう。感覚的に、かなり自由に書いてきたので、厳密に科学的、学問的な話ではないのであるが、取り調べというものが現在の刑事司法システムにおいて有する傾向を中心に書いた本稿のような事情も、ある程度は世の中の人々に抑えておいてもらいたいと思う次第である。

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